遅れる生中継、シンプルなトイレの鍵 推理は間違いでした

どうでもいい話にちゃんとお答えいただくこともあります。


先日書いた「生放送はナマじゃない問題」。


筆者の推測は「放送事故などに備え、放送局がこっそりとLIVE映像を数秒遅れで放送しえいる、というものであった。


ところが電気に詳しい友人知人のみなさまから、何故の二秒遅れなのかということをご指摘いただいた。


それまでの地上波アナログ放送がいわゆる「デジタル放送」になった。するとデータというものは送信する際に一度圧縮するのだそうだ。折りたたんで箱に入れて送りやすくするようなものだと筆者の文系頭は理解した。


そして、手元のテレビ受信機までとどいた「デジタルデータ」は、そこで畳んでいたのをのばして荷解きされた状態を経て映像かするのだという。


意図的に遅らせようというつもりはないにもかかわらず、放送局側で折りたたむのに時間が必要、家庭のテレビでしわを伸ばすのに時間が必要、さらにBSデジタルなどは三十何万キロ離れた衛星に飛ばしてから地上で受け取るので、電波の速さといえどもやはり時間はロスをする、というようなことが積み重なって遅れたというのが「ライブ放送は実はライブではない問題」の真相らしい。


筆者の推理は見事に外れたということをここにご報告するものである。


さらには地下鉄のトイレの鍵はなにゆえシンプルなのか問題について、筆者は「中に閉じ込められた人を速やかに救出することを前提にした」と推理した。書かなかったが、「駅長室には、密かに『緊急時用 外からカギを開けられる特殊工具』までがセットになっていると想像していた。


関係者から密かにもたらされた情報によると「古くなってもかんぬき型みたいにずれて閉まらなくなることもないし、取り付け簡単だし、コストも安いしというおとらしいで」であった。


はい、筆者の推理はことごとくはずれです。でも考えることは止めません。これからも「なにゆえこうなっているのか」ということを追及する日々であります。精進してまいります。