なにを見てほしくてそこにいるのだ 

どうでもいい話です。覚悟してお読みください。


地下鉄某駅のトイレの話である。

個室内に洗面台があり、鏡がある。ありがたいことである。

しかし、その鏡の位置が微妙である。

そこに鏡があれば、反射的にわが身を映し、その姿を確認してしまうという人は多かろうと思う。

夜の電車などで、車窓に映るわが姿を見て、髪型などを点検する方などよく見る。

そこでトイレの鏡である。なんと、大便をしようと座ったその姿がくっきりと横から映るようになっている。


繰り返す。そこに鏡があれば、反射的にわが身を映し、その姿を確認してしまうという人は多かろうと思う。

なにゆえ、わが生涯の中でおよそもっとも人に見せない姿を、ライブで確認する位置に鏡を設定したのか。

鏡の左手にあるのは洗面台である。洗面台の正面につければ何の問題もないではないか。なぜそこに鏡が取りつけられない事情があったかは確認し忘れた。それほどにこの鏡の位置が不可解で、混乱の極にあったのだ。

洗面台正面に取りつけられないならば、別に上半身が映る程度の高い位置の鏡でよかったではないか。

なにゆえ、ここまでくっきりと姿が映るところまで下に伸ばしたのだ。

鏡よ鏡。君がどこかの工場で生まれたときに、青雲の志を抱いて社会へと旅立っていったことだろう。しかし、その配属先が、おっさんがくそ垂れる全身像しか映すことのない職場だとは思ってもみなかっただろう。

無念だろう。不憫だろう。耐えよ。そのうちきっと報われる日も・・・・来ないような気がする。

設置責任者の意図が知りたい。もしかしたら、人の生命にかかわるような深い意味があるのだろうか。知っている人がいたら、どうか教えてほしい。


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