たったこれだけのことで繁盛するか、廃業するかの分かれ目になった?らっきょうのあつかいとは!

というタイトルは、Facebookなどで見るその手の記事の書き方を真似しただけで、そんなビジネスに有益な内容はほぼ出てきません。どうでもいい話です。覚悟して読んでください。


カレーが好きだ。


カレー専門店にいくと、よくテーブルにらっきょうが置いてある。その意気やよしである。
福神漬けよりも私の中ではラッキョウの方がランキングとしてはやや上位を占める。


さて、ガラスの容器などに入っていることの多いカレー屋のラッキョウである。ラッキョウには透明感がよく似合う。実際は透明ではないけれど白濁よりはいくぶん透明感に近い、それがらっきょうの美意識である。


問題はその先である。らっきょうをそれぞれのお客がどのように自らのお皿に移動させるかという時に、各カレー専門店と私の決定的な相性が決まる。


たかがそれだけのことで、私はそのお店が好きになったり、いやになったりする。


それは、スプーンかトングか、という分岐点である。スプーンは良しである、トングは×である。


スプーンには「どうぞお召し上がりください」という真心を感じ、トングには「できるだけ食べないでね、らっきょうだって安くないし」というせこさが透けて見える。


だいたいにしてカレーはスピーディーな食べ物である。らっきょうのトングはそのスピード感を奪う。トングだと、一つ一つそれなりに緊張しながら慎重に移動作業にしばらく集中しなければならない。


小スプーンならば、その無用な緊張感はないし、うまくやれば一回に二つ運べる。


トングだとそれがうまくいかない。「あまり食べるな」と言われているようでかえって意地になってスプーンの場合に予想されるらっきょうの取り込み個数よりも1〜2個以上取り込む。

「負けるもんか!」という意味不明な意地が生じてしまう。


ちなみに福神漬けの場合は、トングでもがさっと取れるから拒否感は生じない。らっきょう&トングが「むっ」とするのは、「一回に一個しかダメ」と言われたような気になるからである。らっきょう限定の心情である。


はたして私と同じ気持ちの人が多かったせいか、道場近くのわりあいにおいしかったカレー屋さんは、廃業してしまった。もちろん「ちいさなピンセットのようなトング」であった。


ま、閉店の理由がらっきょうのせいだったのかどうかはわからないんだけどね。


ちなみに、これぐらい敏感に顧客としての自分の心情の揺れ動きがあることを自覚すると、自分の仕事に関して客観的にわかっていなということが痛感される。自分のこととなると全然見えていないのだ。


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