読書感想文の考察

物事ほんとのほんとのところは、目的すら消失してただ一心にやってしまっている、という状態が望ましいと感じている。対象すら感じないほど渾然一体化の境地など、ほど遠いながらも憧れる。

そこに至る前の段階としては、すくなくても目的に向かって歩んでいる状態がほしい。

夏休みである。全国の何万人、何十万人、何百万人という学生・生徒・児童が「夏休みの読書感想文」を課題として出されていることは間違いなかろう。


さて、この何百万人、過去何千万人に強制されてきた「読書感想文」というのはいったい誰に向かって何のための書かせているのだろうか?


読書感想文というぐらいだからこれは「文」である。文章であるけれども誰かに当てた文=ふみ、つまり手紙である。文であるからには宛先が必要である。誰に向かって書くかである。


筆者が考えるに関係者はざくっと以下のようなものである。

 あ 未来のその本を読み返すかもしれない自分
 い 著者
 う その本を読むかもしれない人
 え その本を勧めてくれた人

ざくっと上記のような関係者が思い浮かぶ。上記の方々に対してなら、私はその本に関して本気で書くことができる。あるいはお話しすることができる。逆に言えば、上記のような関係にない人に本気でその本の内容について論じる気にはまったくならない、とも言える。


繰り返す。読書感想文は、だれが読むのか?自分ではない。著者も避けた方がいい。夏休みの課題としていやいや読んだ感想が何百通も山のように送り付けられたら、その著者はとことん落ち込んで書くのがいやになるかもしれない。創作意欲が消滅するかもしれない。作家生命を絶たれるかもしれない。


ではその本を勧めてくれた人になるかというと、そうすると文部科学省の関係の「課題図書選定委員」のエラーい先生方ということになる。だれがそんな見ず知らずのおじさんおばさん相手に本気で感想を言うというのか。


ではその本を読むかもしれない人という設定はどうだろう。否と言わざるを得ない。情報の価値というのは、単独では存在しない。受け取り手によって「値千金」にもなれば「豚に真珠」にもなる。かつとっておきの情報はとっておきの友達に言いたい。読書感想文のような形になって、へたすると公開され、さして興味のない人間にまでとっておきの情報が届くのは勘弁ならない。


システムから言うと感想文の読み手は基本的に担任の先生か国語担当の先生である。担任の先生は自分でもなければ、著者でもなく、とびっきりのおいしいネタとしてその本を勧めてくれた人でもなければ、ぜひ読んだ方がいいよと教えたくなる存在でもない。


ということは読書感想文は読んでほしい相手がいないのである。読書感想文とは、読み手が想定できない文である。それが書けるということは、会話で言えばだれも聴いていないのにべらべらしゃべる能力である。そういうことに長けて何か価値があるのだろうか。


さらに、生きた情報としてその本に関して論じるならば、本には一定数「はずれ」があるという前提が読書感想文業界には欠落しているように感じられる。正直な感想として

「買って損した。借りて損した、時間の無駄だった」


というものは世の中にたくさん存在するのである。


「この著者、どうもうさんくさい。他人の意見を自分の意見みたいにしてかっこうつけてるだけちゃうのん」


というような本も多数存在する。


「こんな本、自分の小遣いでは絶対買わない方がいい」


と感じる本も多数存在する。しかし、そういう「きわめてまとも」な読書感想文は夏休みの宿題としては書いてはならないという見えないルールがあるようである。しかし、人間が生きていく上では、本にも人にも当たりはずれがある、ということを知ることは重要である。中身がありそうでない人もいれば、読まない方がよほどいい本もある、ということは知るべきである。活字になっていればなんでもすぐに信じる人もいるけれどもそれは危ない。


ということは、読書感想文というのは、本気で書きたくなる読み手がいない文を、本音ではしょうもないと思っていても、むりやり洗練潔白純真無垢な青少年児童が感じるかもしれない教訓などを無理やり捏造して著する文章ということになる。


本音を隠して美辞麗句を並べ、いかにも大人が喜びそうな教訓や小さな決心をねつ造する。そういうことに長けた子どもを毎夏訓練することの価値たるやいかに??


信じられないぐらい面白い本、思いもよらない知見を連ねた本というのは、つまらない本が山のようになるのと同様、うれしいことにありがたいことにこれまた山のようにある。しかし、読書感想文というシステムは、たんに「書け」というだけであるので、単に「本嫌いの子どもをますます本嫌いにする」作用の方がはるかに大きいように感じる。それが悲しい。とっても悲しい。


文科省ならびに関係の偉い先生は、ほんとうに何を目的として読書感想文を書かせたいと思っているのかお聞きしたい。筆者のような浅学非才な凡人にはわからない。なのでぜひ


「課題図書推薦選定委員の先生方の書いた読書感想文コンクール」


をやってほしい。


そうすると、先生方が意図している方向性に沿った素晴らしい読書感想文を見ることによって、私は読書感想文の持つ隠された素晴らしさを知ることができるでしょう。


まさか、自分では書く気にもならないことを何千万人に強制しているってんじゃないでしょーね。